若さしか取り柄がない!

若さしか取り柄がない女子大生が、語ったりスベったりするブログ

「インディゴ地平線」の年に生まれて

96年にどういうわけか地球上に生まれ落ち、現在人生20年目、華の女子大生である。筋金入りの老け顔で、どこに行っても年上に見られるが、正真正銘のピチピチハタチだ。(ちなみに、老け見えエピソードには事欠かない。大学の新入生だった時、先生に「君は今年卒業するのかい?」と聞かれたり。某ネットコミュニティで年齢詐称を疑われ、40代だと決めつけられたり。留学先の語学学校で「27歳くらいかと思ったw」で満場一致したり。初対面の人からは8割の確率で「大人っぽいですね~」の一言が降ってくる。)

 

さて、そんな老け顔20歳の私だが、90年代のJpopがなんとなく好きで、よく聴いている。ほとんどはヒット曲をYoutubeで聴くくらいでそこまで詳しくはないけれど、中にはファンと言えるくらい好きなアーティストもいる。その一つが、今日30周年ツアーの開催を発表したスピッツだ。ファンクラブに入り、ライブのチケットを必死で取り、新曲の情報を心待ちにする。ダウンロードではなく、HMVやらブックオフやらをまわってCDを一枚一枚集めていく過程が心底楽しい。集めたCDは、自分の部屋のよく見えるところに並べて置いて、眺めてにやけて自己満足に浸る。なんなら将来はスピッツの出す音になって、ライブ会場の空気に溶けてしまいたいと本気で思っている。

 

スピッツのアルバムは、1991年のデビュー作から去年の最新作まで数あるのだが、特に好きなのが7th「インディゴ地平線」だ。96年の作品だから実は自分と同い年。「チェリー」や「渚」といったヒット曲も収録されている。

 

スピッツのアルバムはどれも好きなのだが、なぜ中でも「インディゴ地平線」推しなのか。それは、「インディゴ地平線」というアルバムには、あの時代独特の空気が色濃く閉じ込められている気がするからだ。発表年の近い「ハチミツ」とか「フェイクファー」にもその雰囲気はあるんだけど、「インディゴ地平線」はそれが別格で強いように思う。言い換えれば、個人的に最も強くノスタルジーを感じる一枚なのだ。

 

もちろん、96年やそこらの私自身は、物心もクソもない野性味あふれる幼児で、記憶もほぼない。ノスタルジーを本当に理解しているかも自信がないし、90年代なんてのは、自分にとってはほとんど想像みたいなものだ。でも表題曲の「インディゴ地平線」を聴いていると、子供のころの乾いた冬の一日に、歌の中の果てしない青空があったように思えてくる。「虹を越えて」が流れてくると、小さいころうちにあった車で、開けた道をどこまでも行くような気分になれる。自分にとって「インディゴ地平線」は、幼いころの記憶や感触の断片を、不思議と呼び起こしてくれるアルバムなのだ。

 

このアルバムの中で、最も好きな一節がある。6曲目「ナナへの気持ち」の中の、「街道沿いのロイホで夜明けまで話し込み 何もできずホームで見送られるときの」という詞だ。若いカップルの何のこともない日常なのだろうが、2017年の今、この歌詞と同じことをしても、同じ価値はないだろうと思う。ロイホ自体は今でも健在だし、恋人との徹夜だってありふれた行動だ。きっと今も、ファミレスで一晩を明かすカップルはたくさんいることだろう。それなのに、1996年のこの行為には、なぜか今よりずっと特別な時間が流れているように思う。この一節は、恋人とロイホで語り明かす一晩が今よりずっと濃厚だった頃に、一瞬で連れて行ってくれる気がする。

 

ちなみにこの曲に限らないのだが、スピッツの曲に女の子が登場するときは、彼女がどんな子か鮮明にイメージできることが多い。歌の中の女の子のイメージが、髪型や顔立ち、声色まで、なんとなく浮かび上がってくるのだ。もちろん自分なりのイメージでしかないのだけど、不思議と「きっとこんな人だろう」という気になってくる。そういうところも、スピッツが好きな理由の一つだ。

 

もう一つ、「インディゴ地平線」で不思議なことがある。これだけ時代の雰囲気を感じるのに、なぜか古臭いとは思えない点だ。

 

写真で見る90年代は、いかにも一昔前だ。車一つとっても古いし、ファッションやヘアスタイルも、2017年とは全然違う。「インディゴ地平線」も、そんな時代真っ只中に生まれたはずだ。それなのに「古臭い」「時代遅れ」という言葉が全く似合わなくて、当時の空気を新鮮なまま吸い込んでいるような気分になる。「インディゴ地平線」がノスタルジックだというのは私の主観でしかないけれど、20年前のスピッツの音楽を今でもみずみずしく感じるのは、結構多くの人に共通の感覚なんじゃないだろうか?こういう感覚を覚えさせるところが、スピッツが「色褪せない」とか「永遠の少年」みたいに評される理由なのかもな、と思う。

 

今年は2017年。2000年以後に生まれた子も、早ければもう高校生だ。自分は中高一貫校出身だから、思えば部活の後輩たちにも21世紀生まれがいたことになる。そんなことを考えつつ「インディゴ地平線」を聴いていると、1990年代を少しでも生きたことがちょっぴり誇らしい気がしてくる。