若さしか取り柄がない!

若さしか取り柄がない女子大生もとい社会人が、語ったりスベったりするブログ

生まれて初めて廊下に立たされたときの話

あれは小学校4年のときだっただろうか。確か給食の時間に、あまりに笑いすぎて廊下に立たされたことがある。

 

きっかけは、同じ班の男子のくだらないギャグだったように思う。肝心のギャグの内容は全く思い出せず残念至極なのだが、その2人の男子の顔は今でも鮮明に記憶に残っている。そんな彼らの意図した以上にツボにはまってしまったのが、悲劇の始まりだった。泉のごとく湧き出す笑い声が、先生の耳に届いてしまったのだ。

 

先生の冷静な声に、私が耳を疑ったのは言うまでもない。「○○さん、外に出なさい。」背骨が一瞬にして氷漬けになる。しかし体の端々にまだ笑いを引きずっていた私は、その言葉を一度で飲み込む余裕などなかった。恐る恐る、彼のサングラス越しの目と目を合わせてみる。ピクリとも笑わずに、彼はその宣告をした。「出なさい。うるさすぎます。」

 

そこからは、我ながら速かった。そんなに言うなら、出てやろうじゃないか。無駄な動き一つなく出口に向かう私は、きっと宝塚女優顔負けだったに違いない。振り返ることなくつかつかと教室を後にした私に注がれる視線は、羨望と憧憬に満ちていたはずだ。

 

さて、廊下に出てスタイリッシュに暇を持て余していると、別クラスの友人が通りかかった。一連の事件を誇らしげに報告すると、彼女は一言「…○○らしいね。」と言った。そこから後の記憶はない。これが、私が生まれて初めて、廊下に立たされた時の話である。それまでなんだかんだ叱られるのを免れてきた私の記念すべき初廊下スタンディングは、「笑い声がうるさい」という罪状によって彩られることとなったのだった。

 

ちなみに、今でも笑い上戸は全く治癒していない。中高時代は女子校だったので、それなりに笑わせるほうにも命を懸けていたつもりだったのだが、卒業して2年経った今ではすっかりそれが鈍ってしまった。今に残る遺産は、相変わらずのゲラぶりだけとなっている。それにしても、あの時の笑い上戸が今やクールにコーヒーを嗜みつつ、今を時めくイケイケJDブロガーとして暗躍しているとは、当時のクラスメイトの誰が想像するだろうか。

若さしか取り柄がない!

若さしか取り柄がない。正確に言えば、多少の長所があっても強力すぎる短所の数々に完全に打ち消されていて、差し引きの結果もはや若さくらいしか良いところが残っていない。それが私だ。

 

第一の短所に遅刻癖がある。思えば小学生のころから朝に弱く、芋虫のごとくベッドから引きずり出される毎日。中高生のころは学年主任からの呼び出し常連で、もはや顔見知りみたいなものだった。遅刻した朝は担任から逃げるべく、ロッカーに身を隠していたこともある。愛想を尽かさず付き合ってくれる友人や歴代担任の先生方には、菓子折り100個くらいあげたいレベルだ。万が一将来お金持ちになったら、毎月高級菓子折りを恭しく贈りたい。社会への還元より、そのあたりの人々への還元が急を要していると思う。

 

第二の短所に怠け癖がある。私は怠けるのが大好きで、生産的な労働ほど嫌いなものはないのだ。提出物や宿題を計画的にやった記憶が一度もない。また、特に寝るのが大好きで、二度寝の快感は麻薬のようだとさえ思う。三大欲の中で睡眠欲の比重が異様に大きいことを自負している。資本主義社会にはどう見ても不要な人材だ。唯一の兄弟である妹には、まともな社会人になってほしいと切に願っている。

 

第三の短所は、社会性の欠如だ。人付き合いが苦手かつ一人好きで、引きこもったり一人旅したりしている時間が長い。世の高校生以下が思い描くような、キラキラ輝かしい大学生活☆なんてほとんど送っていない。サークルに入ればよかったのだが無事入会金をおさめ損ね、暇を持て余した結果、一人旅の楽しみに開眼し今に至る。一人旅と聞けば聞こえはいいが、私の場合は自分探しでもなんでもなく、単なる長距離移動型ぼっちに過ぎない。高校生の頃まではそこそこの社会性があったはずなのに、人間はここまで退化できるのだと、我ながら生命の神秘を見ている気分である。

 

他にも様々な細かい短所があり、もはや短所の博覧会ともいえそうな私だが、唯一日本中に自慢できるポイントがある。若いのだ。なんと齢20歳。我ながら、今が体力や気力のピークなんだろうなと思う。そんな貴重な時代を盛大に睡眠とソロ活動に充てている、そんな女がこのブログの著者である。

 

「若いころの考えを書き残したい」なんてカッコいいことは、あまり思っていない。むしろ将来読み返したら、ベッドに飛び込んで全力で柔軟体操したくなる可能性のほうが高いだろう。でも、誰に披露すべきかわからないけど、とりあえずどこかへ発信してみたいと思うことが結構あるのだ。だから、日本のどこかで誰かが、鼻でもほじりつつこのブログを読んでくれたら嬉しいなあと思う。