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若さしか取り柄がない!

若さしか取り柄がない女子大生による独演会場。

不器用思い出紀行

勉強が苦手、運動神経が悪い、引っ込み思案。学生生活で不利になる個人の特徴というのはいろいろあるが、私の場合最も深刻だったのは「不器用」というものであった。

 

中学時代の家庭科の授業で、パジャマを作ったことがある。私の中学では、3年次に海外へのホームステイつき修学旅行があった。それに持っていくためという名目だった気がするのだが、私はその類稀なる才能で、手の内からモダンアートを生成してしまったのである。足が出る部分は閉じており、ゴムを通すはずの部分はまるでメビウスの環、ボタンの部分はなぜかペラペラ。「実用からの幽体離脱」とでもタイトルをつけておけば、ダリの作品の隣に並べても見劣りしなかっただろう。もしホームステイ先でこれを着ていたならば、ホストファミリーは日本人のアートリテラシーの高さに舌を巻いたに違いない。惜しいことをしたものだ。

 

残念なことに、当時の家庭科の先生が私の作品を評価してくれることはなかった。これは仕方がない、時代の先端を行く者は理解されないのが常である。成績で3がついたのは、ほぼ奇跡であった。

 

理科の授業でも、自分の不器用にひどく辟易した。夏休みの宿題で、何かの結晶を作るというのが出た年があった(確か、ミョウバンとかそんなものだったように思う)。まずもとになる小さな結晶を作った後、容器の上に置いた割り箸からひもを下げて、そこにその結晶をくくりつけてさらに大きくする、というようなものだった記憶がある。説明によれば、それでキレイな形の大きな結晶が得られるとのことらしかった。

 

浮足立つ雰囲気の夏休み明け。教室に現れた私が持参したのは、ザラメであった。いや、正確に言えば、ザラメほどの大きさしかない、不格好な結晶だったのである。ただでさえ器用な子の多い女子校で、数センチはありそうな美しい結晶が次々と提出される中、我が作品がクラス中の温かい失笑を集めたことは言うまでもない。

 

不器用にまつわる思い出はまだまだある。自分だけ朝顔の芽が出ない、育てたイモが自分だけハーフサイズ、リコーダーで追々試(その後サックスを始めたときは、穴が閉じているか気にしなくてもいいことに非常に感動を覚えた)などなど。現在進行形で困っているのは、料理だ。味は普通の範疇なのだが、どうしても可憐な女子大生が作ったとは思えない、いかついビジュアルになってしまうのだ。インスタグラムに #男の料理 とか #小学生男子の料理 とか書いて投稿しても、疑う人は一人もいないだろう。

 

ちなみに、私の父方の家は工務店、母方は元洋裁店である。継がなくてよい立場に生まれたことに、心の底から感謝したい。

私の朝活

ラジオが好きだ。大学受験生のころから時々聴くようになったのだが、テレビのない留学先の寮に来てからというもの、部屋にいる時間はほとんど何らかのラジオをつけっぱなしにしている。もちろん、好きな番組を聴いたりニュースを集めたり、はたまたぼっちを紛らわしたりといった目的もあるのだが、こちらに来てからは、図らずももう一つの目的が加わってしまった。

 

若さしか取り柄がない!というエントリーで、自分の短所を淡々と披露したのだが、その中で自分には遅刻癖があると書いた。私の遅刻癖には、宵っ張りの朝寝坊体質が大きく関わっている。全世界人口の上位3%には入りそうなエクストリーム夜型で、深夜はそれはもうコウモリが憑依したかのような活動ぶりである。たぶん前世はコウモリの首長として、民家の軒先で我が物顔でフンを撒き散らしていたに違いない。

 

さて、夜型の生活を続けていると、どうしても日を浴びる時間が短くなる。肌は青白く、目は充血し、歯や髪は抜け去り、やがて骨と皮だけになるなどという悲劇は今のところ起きていないが、それでも日光や朝の空気はどこか恋しい。ただでさえ陰鬱なヨーロッパの冬なのに、インドア派で超夜型という条件が整えば、それはもはや自分の存在自体が太陽を隠しているみたいなものなのだ。もうセルフ雨雲だ。

 

そんな冬を過ごしつつ、いつものように夜にラジオを聴いていた折のことである。

 

時代は便利になったもので、PCがあれば海外にいながら日本のラジオを聴くことができる。私のいる場所と日本は9時間の時差があり、つまり日本のラジオを深夜に聴くと、朝の番組を放送していることになる。それまでは朝番組は流し聞きしているだけだったのだが、その時ふと耳に残る情報があった。鉄道や道路の交通情報である。

 

考えてみれば、交通情報というのは朝の番組以外で聞いた覚えがあまりない。恐らく通勤通学の時間に合わせているのだろう。そう考えてみると、交通情報が間に入る朝のラジオというのは、なんと朝らしさにあふれていることか。それに気が付いたとたん、この時間のラジオ番組というのが、明るい朝の光に包まれた、爽やかな音声に感じられてきたのである。というかその時の私は、もはや光のみならず、冬晴れの日の午前の空気、目覚めたての自然の呼吸、道を漂う焼き立てのパンの香りまで鮮明に感じていた。

 

私は気が付いてしまった。日本の朝のラジオを聞いていれば、夜型でも朝の気分を味わえてしまうことに。ルームメイトが友達を連れ込んで、リビングで夜1時まで大騒ぎしても気にならない。なぜなら私の部屋だけは、朝の光が満ち溢れているからだ。ルームメイトたちがその後一切皿を片づけなくてもなんのその。私は朝の青空に洗われた空気の中で、華麗に洗い物をするだけだ。こうして存分に朝の気分を味わった後、午前4時ごろにようやく、長い眠りに落ちてゆく。そこから12時過ぎまで、目が覚めることはない。

 

最近の自分の一日は、もっぱら「朝活」によって締めくくられるようになっている。

涙ぐましきカラオケ道

留学していて辛いこと。私にとって、それは言葉が通じないことでも友達ができないことでもない。カラオケがないことである。

 

私は一人カラオケが大好きだ。日本にいたころは、授業の合間、休日、旅先、あらゆる余暇でヒトカラに行っていた。ヘタクソさを気にする必要もないし、どんなにマニアックな選曲でもいい。採点で自己満足に浸ってもよいし、覚えたての歌を何度も入れて覚えるのも楽しい。好きなアーティストの曲を「あ」から順に全部歌って、一晩をつぶしたこともあった。家の近くのカラオケ屋と、大学の最寄りのカラオケ屋にはかなり貢いできた自負がある。なにせ、多い時では週に4回くらいカラオケに行っていたのだから。

 

そんな人間がカラオケ未開の地に降り立ったのが、昨年の8月である。自分のカラオケ依存が想像以上であったことを、その時私は悟った。自分の中のジャイアンを解き放つ場所がないことは、予想していた以上に辛いことだったのだ。

 

しかし、カラオケがないからといって涙にくれてばかりはいられない。それなら、家で歌えばよいのだ。そう考えた私は、寮の自室でYoutube音源と一緒に歌うことを始めた。最初はそれなりに楽しかった。思えば、歌手の声が入っていると自分もうまくなったように錯覚できるのだ。部屋で歌う私は草野マサムネであり、吉田美和であり、甲本ヒロトだった。パソコンにうっすらと映るスッピンの妖怪が多少気になるのを除けば、自己陶酔に浸るのに難はなかったのである。

 

しかし、幸福な日々は長くは続かなかった。

 

歌いながら〇鳳で麻雀を打つ、いつも通りの夜だった。何半荘かを終えて、一息入れようと立ち上がる。そこでふと気が付いた。部屋のドアに近づくと、外から声が聞こえるのである。よく聞いてみると、今まで気が付かなかったがリビングでパーティーでもやっているようだ。そこそこ盛り上がっていて、笑い声やらがなる声やら賑やかだ。そこからそのことを悟るまで、多くの時間はかからなかった。

 

 

私の歌声が、リビングに聞こえていないとは言い切れないのではないか?

 

 

世の中には知らないほうがいいことが数多あるが、この事実がそうだったのかはわからない。それでも、私が受けたダメージは大きかった。

 

普通に歌っているだけならまだ傷は浅かった。しかし、カラオケの命ともいえる選曲で、私は大打撃を被ることとなる。今何かと話題のChage and ASKA、しかもChageのパートを習得しようと四苦八苦だったのだ。

 

チャゲアスといえば、拳をブンブン振り上げたくなる「YAH YAH YAH」が外せない。あのテンションはもはや不可抗力で、声を張り上げないほうが難しいのだ。他にも、「なぜに君は帰らない」「太陽と埃の中で」など、チャゲアスの曲はついつい大声で歌わずにいられないものが多い。

 


[MV] YAH YAH YAH / CHAGE and ASKA

 

しかも、さらに問題なのがChageパートだったことである。彼のパートは、基本的にとんでもなく音が高い。しかもメインの上でハモっていることが多く、凡人には結構な難易度なのだ。それを見よう見まねで真似ていた私の歌声と言ったら、それはもう惨憺たる大音量電波なのである。そんなものを漏らしていたと気づいたときの衝撃は、声帯が吹っ飛びそうになったほどであった。

 

そこからの私の工夫は、涙ぐましかった。

 

まず、リビングに人がいそうなときには歌わないことから始めた。もちろん自分の部屋からリビングの様子を直接見ることはできないが、他の部屋のドアが開く音がしたら、とりあえず我が美声は封印である。

 

さらに、念には念を入れる。自分の部屋でルームメイトの部屋からの音が気になったことはなかったが、万が一ルームメイトの自室にまで音が響いている可能性を考慮し、なるべく彼らが不快感を催さない工夫をすることにしたのだ。

 

どうせ聞こえるなら、素人の音痴よりプロの名演のほうがましだろう。そう考えた私は、まず歌うときにかける音源の音量を少し大きめにするようにした。これなら、万が一音が聞こえていても私の悪声はかき消されるはずだ。彼らの耳には、プロの歌手の麗しい歌声だけが届くことになる。

 

さらに、防音にも奔走した。まず、戸締りを徹底。気休めに鍵まできっちりかけ、ドアから一番離れた位置に陣取る。極めつけに、口元にはクッションをみっちりと当てる。正直かなり苦しいが、歌えない辛さに比べたら胃痛ぐらいのものである。帰国するころには、黒いロングコートをはためかせてドヤ顔でChageパートを歌えるようになっていることだろう。

 

それにしても、カラオケは海外ではあまり流行らないのだろうか。うまくやれば、結構根付きそうにも思えるのになあ~。

「インディゴ地平線」の年に生まれて

音楽

96年にどういうわけか地球上に生まれ落ち、現在人生20年目、華の女子大生である。筋金入りの老け顔で、どこに行っても年上に見られるが、正真正銘のピチピチハタチだ。(ちなみに、老け見えエピソードには事欠かない。大学の新入生だった時、先生に「君は今年卒業するのかい?」と聞かれたり。某ネットコミュニティで年齢詐称を疑われ、40代だと決めつけられたり。留学先の語学学校で「27歳くらいかと思ったw」で満場一致したり。初対面の人からは8割の確率で「大人っぽいですね~」の一言が降ってくる。)

 

さて、そんな老け顔20歳の私だが、90年代のJpopがなんとなく好きで、よく聴いている。ほとんどはヒット曲をYoutubeで聴くくらいでそこまで詳しくはないけれど、中にはファンと言えるくらい好きなアーティストもいる。その一つが、今日30周年ツアーの開催を発表したスピッツだ。ファンクラブに入り、ライブのチケットを必死で取り、新曲の情報を心待ちにする。ダウンロードではなく、HMVやらブックオフやらをまわってCDを一枚一枚集めていく過程が心底楽しい。集めたCDは、自分の部屋のよく見えるところに並べて置いて、眺めてにやけて自己満足に浸る。なんなら将来はスピッツの出す音になって、ライブ会場の空気に溶けてしまいたいと本気で思っている。

 

スピッツのアルバムは、1991年のデビュー作から去年の最新作まで数あるのだが、特に好きなのが7th「インディゴ地平線」だ。96年の作品だから実は自分と同い年。「チェリー」や「渚」といったヒット曲も収録されている。

 

スピッツのアルバムはどれも好きなのだが、なぜ中でも「インディゴ地平線」推しなのか。それは、「インディゴ地平線」というアルバムには、あの時代独特の空気が色濃く閉じ込められている気がするからだ。発表年の近い「ハチミツ」とか「フェイクファー」にもその雰囲気はあるんだけど、「インディゴ地平線」はそれが別格で強いように思う。言い換えれば、個人的に最も強くノスタルジーを感じる一枚なのだ。

 

もちろん、96年やそこらの私自身は、物心もクソもない野性味あふれる幼児で、記憶もほぼない。ノスタルジーを本当に理解しているかも自信がないし、90年代なんてのは、自分にとってはほとんど想像みたいなものだ。でも表題曲の「インディゴ地平線」を聴いていると、子供のころの乾いた冬の一日に、歌の中の果てしない青空があったように思えてくる。「虹を越えて」が流れてくると、小さいころうちにあった車で、開けた道をどこまでも行くような気分になれる。自分にとって「インディゴ地平線」は、幼いころの記憶や感触の断片を、不思議と呼び起こしてくれるアルバムなのだ。

 

このアルバムの中で、最も好きな一節がある。6曲目「ナナへの気持ち」の中の、「街道沿いのロイホで夜明けまで話し込み 何もできずホームで見送られるときの」という詞だ。若いカップルの何のこともない日常なのだろうが、2017年の今、この歌詞と同じことをしても、同じ価値はないだろうと思う。ロイホ自体は今でも健在だし、恋人との徹夜だってありふれた行動だ。きっと今も、ファミレスで一晩を明かすカップルはたくさんいることだろう。それなのに、1996年のこの行為には、なぜか今よりずっと特別な時間が流れているように思う。この一節は、恋人とロイホで語り明かす一晩が今よりずっと濃厚だった頃に、一瞬で連れて行ってくれる気がする。

 

ちなみにこの曲に限らないのだが、スピッツの曲に女の子が登場するときは、彼女がどんな子か鮮明にイメージできることが多い。歌の中の女の子のイメージが、髪型や顔立ち、声色まで、なんとなく浮かび上がってくるのだ。もちろん自分なりのイメージでしかないのだけど、不思議と「きっとこんな人だろう」という気になってくる。そういうところも、スピッツが好きな理由の一つだ。

 

もう一つ、「インディゴ地平線」で不思議なことがある。これだけ時代の雰囲気を感じるのに、なぜか古臭いとは思えない点だ。

 

写真で見る90年代は、いかにも一昔前だ。車一つとっても古いし、ファッションやヘアスタイルも、2017年とは全然違う。「インディゴ地平線」も、そんな時代真っ只中に生まれたはずだ。それなのに「古臭い」「時代遅れ」という言葉が全く似合わなくて、当時の空気を新鮮なまま吸い込んでいるような気分になる。「インディゴ地平線」がノスタルジックだというのは私の主観でしかないけれど、20年前のスピッツの音楽を今でもみずみずしく感じるのは、結構多くの人に共通の感覚なんじゃないだろうか?こういう感覚を覚えさせるところが、スピッツが「色褪せない」とか「永遠の少年」みたいに評される理由なのかもな、と思う。

 

今年は2017年。2000年以後に生まれた子も、早ければもう高校生だ。自分は中高一貫校出身だから、思えば部活の後輩たちにも21世紀生まれがいたことになる。そんなことを考えつつ「インディゴ地平線」を聴いていると、1990年代を少しでも生きたことがちょっぴり誇らしい気がしてくる。

 

生まれて初めて廊下に立たされたときの話

あれは小学校4年のときだっただろうか。確か給食の時間に、あまりに笑いすぎて廊下に立たされたことがある。

 

きっかけは、同じ班の男子のくだらないギャグだったように思う。肝心のギャグの内容は全く思い出せず残念至極なのだが、その2人の男子の顔は今でも鮮明に記憶に残っている。そんな彼らの意図した以上にツボにはまってしまったのが、悲劇の始まりだった。泉のごとく湧き出す笑い声が、先生の耳に届いてしまったのだ。

 

先生の冷静な声に、私が耳を疑ったのは言うまでもない。「○○さん、外に出なさい。」背骨が一瞬にして氷漬けになる。しかし体の端々にまだ笑いを引きずっていた私は、その言葉を一度で飲み込む余裕などなかった。恐る恐る、彼のサングラス越しの目と目を合わせてみる。ピクリとも笑わずに、彼はその宣告をした。「出なさい。うるさすぎます。」

 

そこからは、我ながら速かった。そんなに言うなら、出てやろうじゃないか。無駄な動き一つなく出口に向かう私は、きっと宝塚女優顔負けだったに違いない。振り返ることなくつかつかと教室を後にした私に注がれる視線は、羨望と憧憬に満ちていたはずだ。

 

さて、廊下に出てスタイリッシュに暇を持て余していると、別クラスの友人が通りかかった。一連の事件を誇らしげに報告すると、彼女は一言「…○○らしいね。」と言った。そこから後の記憶はない。これが、私が生まれて初めて、廊下に立たされた時の話である。それまでなんだかんだ叱られるのを免れてきた私の記念すべき初廊下スタンディングは、「笑い声がうるさい」という罪状によって彩られることとなったのだった。

 

ちなみに、今でも笑い上戸は全く治癒していない。中高時代は女子校だったので、それなりに笑わせるほうにも命を懸けていたつもりだったのだが、卒業して2年経った今ではすっかりそれが鈍ってしまった。今に残る遺産は、相変わらずのゲラぶりだけとなっている。それにしても、あの時の笑い上戸が今やクールにコーヒーを嗜みつつ、今を時めくイケイケJDブロガーとして暗躍しているとは、当時のクラスメイトの誰が想像するだろうか。

若さしか取り柄がない!

若さしか取り柄がない。正確に言えば、多少の長所があっても強力すぎる短所の数々に完全に打ち消されていて、差し引きの結果もはや若さくらいしか良いところが残っていない。それが私だ。

 

第一の短所に遅刻癖がある。思えば小学生のころから朝に弱く、芋虫のごとくベッドから引きずり出される毎日。中高生のころは学年主任からの呼び出し常連で、もはや顔見知りみたいなものだった。遅刻した朝は担任から逃げるべく、ロッカーに身を隠していたこともある。愛想を尽かさず付き合ってくれる友人や歴代担任の先生方には、菓子折り100個くらいあげたいレベルだ。万が一将来お金持ちになったら、毎月高級菓子折りを恭しく贈りたい。社会への還元より、そのあたりの人々への還元が急を要していると思う。

 

第二の短所に怠け癖がある。私は怠けるのが大好きで、生産的な労働ほど嫌いなものはないのだ。提出物や宿題を計画的にやった記憶が一度もない。また、特に寝るのが大好きで、二度寝の快感は麻薬のようだとさえ思う。三大欲の中で睡眠欲の比重が異様に大きいことを自負している。資本主義社会にはどう見ても不要な人材だ。唯一の兄弟である妹には、まともな社会人になってほしいと切に願っている。

 

第三の短所は、社会性の欠如だ。人付き合いが苦手かつ一人好きで、引きこもったり一人旅したりしている時間が長い。世の高校生以下が思い描くような、キラキラ輝かしい大学生活☆なんてほとんど送っていない。サークルに入ればよかったのだが無事入会金をおさめ損ね、暇を持て余した結果、一人旅の楽しみに開眼し今に至る。一人旅と聞けば聞こえはいいが、私の場合は自分探しでもなんでもなく、単なる長距離移動型ぼっちに過ぎない。高校生の頃まではそこそこの社会性があったはずなのに、人間はここまで退化できるのだと、我ながら生命の神秘を見ている気分である。

 

他にも様々な細かい短所があり、もはや短所の博覧会ともいえそうな私だが、唯一日本中に自慢できるポイントがある。若いのだ。なんと齢20歳。我ながら、今が体力や気力のピークなんだろうなと思う。そんな貴重な時代を盛大に睡眠とソロ活動に充てている、そんな女がこのブログの著者である。

 

「若いころの考えを書き残したい」なんてカッコいいことは、あまり思っていない。むしろ将来読み返したら、ベッドに飛び込んで全力で柔軟体操したくなる可能性のほうが高いだろう。でも、誰に披露すべきかわからないけど、とりあえずどこかへ発信してみたいと思うことが結構あるのだ。だから、日本のどこかで誰かが、鼻でもほじりつつこのブログを読んでくれたら嬉しいなあと思う。